カテゴリ
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
ブクログ etica13の本棚 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ 生息中 mixi ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ おきにいり 読書 Picnic on Farside 見つけた?何を? 書斎のうちそと 図書館ばなし 映画 ゴロゴロしあたー 美術 Exhibition Alert defyra ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ フロッグサイドバーをつけたかったのですができなかったので、 なんちゃってフロッグバー 上記以外で今よく見ているサイト・ブログです。 新・レディメイド*はせべ社長のひみつダイアリー 実はピーク当時シブヤ系音楽及び風俗が死ぬほど嫌いだった私。何故ならこじゃれたものがキライだから!(あとジャズが苦手だから!) でもハセベさんのブログは大好きです。 Donna Wilson ロンドンでも手作り雑貨は流行っているのでしょうか。海の向こうのカワイイモノ。 ヤギとウサギのイノウエ 実験動物販売会社のサイト・・・トップページが可愛いのがなんとも。愛玩用のも卸しているそうです。 papabubble 先日お土産に頂いた飴屋さんのサイト。相当可愛い。 スペインの飴屋さんなんだけど、最近中野に支店ができたそう。行ってみたいー。 行く度にトップがランダムに変わるサイトはよくあるけど、ここはランダムに音楽とデザインが変わる・・・! 最新のトラックバック
以前の記事
2012年 07月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 08月 2008年 07月 2008年 05月 2008年 04月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 more... ライフログ
検索
その他のジャンル
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
毒っ気が強い女子が何故か大好き。(not 意地悪) フォークナー「サートリス」のミス・ジェニィ(多分80歳はこえてる)があまりに素敵で、某さんに熱く語ったあげく、図書館に返す前に好き台詞を抜いておこう・・・とヒマをいいことに抜書きしていて、はた、と気付いた。 ミス・ジェニィってば、リリアン・ヘルマンに似てる・・・。 リリアン・ヘルマン(劇作家。作品で有名なものには映画化された「噂の二人」「レベッカ」などがある。ダシール・ハメットの恋人としても有名。)は私の永遠のアイドルの一人なのですが、 こういう、ずけずけ言うんだけど憎めない、往々にして頑固な孤高の女性に私は弱いらしいです。 しかしそれってどうなの?って気もする。 女性として生まれた以上、将来的にはムーミン・ママのような慈愛に満ちた女性になりたいと思っているはずなのに、 「まぁ、おばさま!いったいどうしてそんなふうにおっしゃることができますの、ジョンさんが・・・・・・おなくなりになったのに。」 「ばかばかしい。戦争は自分を殺すためのよい口実をジョンに与えただけのことですよ。たとえそうでなかったとしても、やはりまわりの者にとっては迷惑になるようなことになったでしょうよ。」 なんて言ったり 「あなたはまさか、そうしてやることがあの子に自動車をひっくりかえさせないだろうということだけで、わざわざ午後の時間をつぶしてあの子と一緒に乗り回しているのではないでしょう。あなたが一緒に乗るのは、もしそんなことが起こったときは、自分もその中にいたいからなんでしょう。それでいてあなたは、ご自分が、あの子よりも他の者たちのことを考えているなぞと思っているんですか?」 なんて痛いとこ突いたり 「わたしは、たとえよくない人間でも、強い人間を尊敬します。」 なんて表明しちゃう人を「きゃー☆ かっこいー☆」と思っているのは矛盾してないか。 でもって自分のよくない面(頑固で意固地で自己完結的なとこ・・・)が助長される気がしなくもない。 でもってなんかこう・・・らぶい幸せからはますます縁遠くなる気がするよ・・・ジェニイ叔母様とかに憧れちゃうと・・・ とりあえず「サートリス」は面白いです。 伸たまき「パーム」が好きな人とか好きかも。なんかジェニィ叔母様ってばアンジェラっぽいし。カーターの恋人はナーシサかな。 ていうか、パームってどこかアメリカ南部文学っぽいような気がする。作者の好き本に全然入ってない+作品舞台にも含まれてない にも関わらず。「愛でなく」で挫折した人間が言えることじゃないかもですが。 おまけ:ジェニイ叔母様名言録 #
by etica
| 2007-09-10 15:40
| book
ここでも散々書いているけれど この世に生まれて三十年余、未だに全然慣れないのが「時間経過による変化」です。ほんっとに慣れない。今ここにあるものはいつもずっとここにあるような気がどうしてもする。私の感傷はほとんどが「ずっとあると思ってたのにいつのまにかない」ことに関することなんじゃないかと思うくらい。 ひょっとしたら考える部位(脳とか心とか)それ自体には、時間の流れを掴む能力がないんじゃないかなぁ。 ダグラス・クープランドは「タイム・アフター・ゴッド」の中で「年をとると時間の流れが早く感じるのは、新しい経験がなくなるからじゃないか」って説を披露してたけど、周囲の変化は身にもってする経験じゃない。「見て知ること」は経験じゃないと思う。(だからオタクは経験値低いのでは?) 「さまよう廃墟町 廃墟のあとかたもなく 月夜に城の跡 愛したあとかたもなく 愛してた 誰と 誰と あの時ささやいた言葉の色またひとつひとつ 色移りて 老いたブナの木の木の葉すれあうまにまに あなたは眠ったふりや死んだふりさえ惜しむことなく 誰かに会いたくて 滅んだ夢に今も住みながら 愛してみせて 苦しんでみせて むごいつかの間見逃さず 愛して苦しめて 」 これはあがた森魚の「ガルトネルのブナの木」の歌詞だけど これ聞くと、旅行でまわる名所旧跡とか すべてそこにかつて誰かがいた時間の名残で そこに行った人が偲ぶという行為でしか、それはよみがえらないんだなぁ・・・と思う。 心を空しくして見ると歴史はいよいよ美しい、と小林秀雄は言ったけど、私の心は愚にもつかぬ感傷でいっぱいで、なかなか「空しくして見る」境地には至らないのです。 まして「空しくして見る」対象に今の自分やまわりを入れるなんてことは言わずもがな。 誰が言ったか、四季の中で夏だけが「死ぬ」んだそうだ。春も秋も冬も静かに去っていくのに、夏だけがここで死ぬ。 断末魔の季節の中で、ただ新しく数多くの経験をもっともっと!と願ってみるのでした。 #
by etica
| 2007-08-29 13:32
| days
「むすめよ、わしは心の落ちつかない苛々した 娘たちを見たこともあるが、年つきが過ぎて かれらも隣近所の人たちと同じやうになり、よろこんで 子供たちの世話をしたりバタを拵えたり 婚礼や通夜の噂ばなしをするやうになつてしまつた 人のいのちは夢の赤い輝きから出て 平凡な月日の平凡なひかりの中にはひつてゆくのだ 老年がふたたびその赤い輝きを持つて来てくれるまで」 ―イエーツ「心のゆくところ」ハアトの台詞より 珍しいキノコ舞踊団「あなたの寝顔をなでてみる」を観た。 眠りこけるダンサー 日常の些事の語らい 絡み合う柔らかな身体 振り返って驚く 羊水の中のような赤いスクリーンの陰にシルエットになって浮かぶ踊る女 まるで恋人同士のように、お互いを逃がすまいともつれあう二人 最早「少女」や「娘」と呼ぶには憚られる年代になってきた珍しいキノコ舞踊団、だが 結婚はしても子供を持たない彼女たちは、未だ何処か少女であることから抜けきっていないように見える。 何処か―おそらくは、そのナルシズムの発露においても。 自分以上に愛する存在を持たない女性は「少女」から抜け出せない。女の種類は少女と母しかないから。 「あなたの寝顔をなでてみる」わたしは、わたし。 そして寝顔をなでられるあなたも、わたし。 眠っているわたしをそっと起こし、半覚醒の夢の中でたわむれる。 夢の中でわたしは幾人にも分裂し、自分でも驚くようなわたしの貌をわたしに見せる。 でもそれもこれもみんな夢。わたししかいないわたしのなかの赤い夢。 わたしは「よろこんで子供たちの世話をしたりバタを拵えたり婚礼や通夜の噂ばなしをする」だろう。 「平凡な月日の平凡なひかりの中にはひつてゆく」だろう。 それでも「夢の赤い輝き」は失われないだろう。 わたしがいるのは、未だ赤い夢のなかだから。 母にならない女性ばかりの集団で 珍しいキノコ舞踊団は永遠の少女としての舞踊を踊り続ける。 その行く先が怖いような興味深いようなやはり怖いような気がする今日この頃。 少女のナルシズムがいつまで続くのかという問いは愚問だ。自分を愛している女を少女と呼ぶのだから。しかし、その表現の行き着く先は・・・? 息をひそめて見守りたく・・・。が、頑張ってね~ #
by etica
| 2007-07-14 20:50
| art
|
ファン申請 |
||