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J・M・シング「アラン島」を読んでいたら、思いがけずゴス少女紹介のくだりが出てきたのでご紹介。 「夕暮れ時に、ひとりの娘とときどき会うことがある。この娘はまだ十代の半ばを過ぎてもいないのに、島で出会った誰よりもいろんな点でものごとを深く意識的にとらえているようだ。この子は本土でしばらく暮らしたことがあり、ゴールウェイで経験した幻滅が彼女の想像力に影響をあたえているらしい。 暖炉を真ん中にはさんで腰を下ろし、娘の話を聞いていると、ひとつの文章を語る間にも彼女の声は、子供らしい陽気さと、悲しみで疲れ果てた古い民族の哀調をおびた抑揚との間を、行ったり来たりする。ある瞬間には彼女は素朴な農民の娘であるが、別の瞬間には、先史時代の幻滅を知るまなざしで世界を見つめ、その灰青色の両眼のなかに、雲と海からなる外部世界の落胆のすべてを集約しているかのようにみえる。 僕たちの対話の話題はいつもとりとめがない。ある晩には、本土の町の話になった。 「あ、あれって変なとこ」と彼女は言った。「あんなとこに住みたくない。変なとこだもん。でも、変でないとこなんてあるのかしら。知らない。」 別の晩には島に住んでいるひとや島を訪れるひとが話題になった。 「××神父さまは行っちゃった」と娘は言った。「親切なひとだったけど、変なひと。神父さんたちってみんな変。でも変でないひとなんているのかしら。知らない。」 そして、長い沈黙の後、娘は、自分じしんもとても驚いたしそれを聞いたら僕だってきっと驚くに違いないことを打ち明けるかのような、深刻な面持ちで口を開いたかと思うと、あたし、男の子がとっても好きなんだ、と言った。 僕たちのおしゃべりはよく子ども時代特有の無垢なリアリズムでいっぱいになるのだが、彼女はいつもものごとを正確で魅力的に表現しようとして、涙ぐましいくらいにがんばっている。 ある晩、娘が自分の家の小さな脇部屋の暖炉に火を点けようとしているところへ、僕がたまたま通りかかった。どこにでもあるふつうの暖炉である。僕は手を貸してやろうとおもって、その部屋へ入り、風の通り道をつくるには暖炉の開口部に新聞紙をどんなふうにかざしたらいいのかやってみせた。娘はそのやりかたははじめて見たというので、僕は、パリには一人暮らしの人間がたくさんいて、みんな頼めるひとがいないからこうやって自分で火をおこすんだよ、と話してやった。彼女は床にぺたりと座りこんで泥炭の火を見つめていたが、僕が話し終えるとびっくりしたように顔を上げた。 「それじゃまるであたしじゃん。都会に孤独なひとたちがいるなんて信じらんない。」 僕たちはおたがいに共感しあっていたけれど、、その底に依然として深い溝が横たわっているのを、ふたりとも感じていた。 この晩僕が帰ろうとしたら、娘は、「そうか、おにいさんもやがて地獄へ堕ちるんだよね」とつぶやいた。 日没後に若者たちがどこかの家の食堂兼居間(キッチン)に集まってトランプをするときに、若い娘たちも二、三人やってきて一緒に過ごすことがあるが、そんな場所で、この娘に会うこともよくある。 そういうとき、彼女の目は蝋燭の明かりを映して輝き、頬は初々しい内面の激動に赤らんでいる。 そして、ついには、毎晩泥炭の炎にかがみ込んでものうげにつぶやいているあの娘と同一人物とは思えなくなる。」 J・M・シングの「アラン島」が出版されたのは1907年。 お金持ちの末っ子がやることを見出せずに鬱々としながらヨーロッパ中ふらふらしてる頃にイエイツに出会い、「アイルランド語を勉強したいならアラン諸島に行ってみれば?」と言われ、旅立ったアラン島によって運命を変えられた。 アラン島で聞いた数々の伝承を元に、彼はアイルランド文芸復興をになう戯曲作家になった。彼の紀行文「アラン島」は、今日に至るまで、アラン島のイメージを決定的に形作ることになる。 アラン島にはずーっと憧れているのですが、文学的に憧れているというわけでなく単にあの景色に憧れているので、有名なこの本も今に至るまで読んだことなかったのですけど・・・正直、イメージと違っていたかも。もっとかたくるしい本かと思っていたら、そこにあったのは、新訳ということもあってか、25歳の(大学関係者でもなんでもない)青年の瑞々しい文章でした。まぁ訳もいいんだけど・・・漢字とひらがなのバランスが絶妙だし、言葉遣いも巧い。 でもってゴスっ娘・・・。百年前にアラン島にこんな子が!とちょっと驚いたけど、考えたらイエイツもその戯曲で似たようなメンタリティの娘を描いていることだし、何より「アラン島」で繰り返し語られる「アラン島の女性たちの運命は厳しくつらいものだ」という言葉-アラン島での「いい女」の一番の条件は「子供を沢山産む女」であり、ようやく育て上げたその子供もいつ海に失くすかもしれないという運命-を考えると、こういう娘が出てきても全然おかしくないなぁと思う。少女性を生み出す観念のひとつには「(子供を産む性として以外の)自分は世界に必要とされていない」ってのがあると思うので。 にしても「地獄へ堕ちるんだよね」って。 シングって現在の日本に生まれ育っていたら確実に筋肉少女帯つーかオーケンのファンだったと思う。いやなんとなく。
by etica
| 2007-11-18 14:09
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